あの夜は、深夜になってもなお、昼間の暑気が気怠く街を包んでおりました。
終電を降りた私は、駅前のタクシー乗り場に向かいました。
そこには6畳程の広さの待合室があり、暑さに疲れ切った顔でタクシーを待つ客が数人、長椅子に腰をおろしています。
私が待合室の一員となると、その後には、女の人が一人来たきりで、それで客足は途絶えました。
どうやら、白いブラウスを着たその女の人が、本日最後の客になる様です。
1台、また1台とタクシーがやってきては、客を拾って走り去って行きます。
自分の番になり、タクシーに乗り込んで行き先を告げます。
運転手さんは待合室の様子を伺い、「お客さん、ちょっと待ってて下さい」と言い残し、
車を降りて待合室の電気を消しに行きました。
(そう言えば、最後の客を乗せたら、電気を消すんだったな…)
以前、何度か自分が最後の客になった時、同じ光景を見た事を思い出しました。
(でも、まだ一人残ってるのに…)
暗くなった待合室の中には、さっきの白いブラウスを着た女の人がじっと座っています。
運転手さんは、車に戻るや、無線を取り「○○駅前、終了しました」と報告しています。
「ちょっと、運転手さん、まだ一人お客さんがいますよ?」
見かねて声をかけると、運転手さんは何故か心なしかぎくりとしながら、「え…どこにです?」と怪訝そうな顔を作ります。
「いや、ほら、待合室の中に…」
待合室を見ると、女の人は立ち上がり、するするとこちらに歩いてきます。
-いや、歩いていない…。
足を動かさず、まるで氷の上を滑るように、するすると、近づいてくる…。
車の間際まで来たその女の人は、無表情で、窓越しに私を見つめています。
「い、いや、いいです!!早く出して下さい!!」
私の震える声と共に、車は走り始めました。
振り向く事も出来ず、シートの上で固まっていると、運転手さんが、ぼそりと言いました。
「お客さん、見なかったことにした方が、いいですよ…」